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vol.146 「愁いホルモンのローカライズ」 by 杉田洋子


10月のテーマ:郷愁

最近、記憶力の低下も手伝ってか、
郷愁を覚える対象が近い過去になっているように感じる。
上京して間もないころは、夕暮れ時、
路地にただよう夕飯のにおいに実家を思い出し、
感傷にひたったりしたものだ。

しかし東京に来て12年が経った今、
実家に帰って感じるのは、懐かしさというよりは新鮮味である。
父が日曜大工でこしらえたものや、食器や家具の配置が変わっていたり、
古くなった家電が買い換えられていたり...。
親や兄弟との距離感も少しずつ変わってきたように思う。
家族には変わりないが、久しぶりに会うので、少し照れ臭い。
変わらないのはカメだけである。

言葉通りの郷愁は、故郷や実際に体験した過去に対して馳せる思いだろうけれど、
似た類の言葉に、哀愁とか切なさとか恋しさとかいうのがある。
それは少し物悲しくて、胸がキュウっとなるような思いだ。
そしてそんな現象は、日常においてわりと頻繁に起きている気がする。
普段、こうした精神状態を招くのは、夕日だったり、枯葉だったり、
アコーディオンやオルゴールの音色だったり...。
特に個人的に特別な思い入れはないものが多い。
それが醸し出す雰囲気が直接胸に作用しているような感じだ。
あるいは刷り込みによる私たちの思い込みかも知れない。
どこか懐かしいような気持になるが、"懐かしい"という言葉で表現するのも
語弊があるだろう。
現にそれらは、ノスタルジックな旋律とか、哀愁を帯びたメロディーなどという言葉で
形容されたりする。

でも、原因はさまざまに分類できても、
このキュウっとなるようなものに触れたとき、
実際に私たちの胸や頭の中で起きている現象は、
きっと同じなのではないだろうか。
愁いを引き起こすような、同じホルモンが分泌されている、みたいな。

それを例えば日本語では細かく分類し、さまざまな言葉を当てている。
しかし別の国の言葉では、1つの単語がすべての愁いホルモンを
内包している場合もあるだろう。
そんなときは、翻訳するにも言葉選びに一苦労だ。
どの言葉をあてるかによって、第三者の印象は変わってくる。
相手の感情やら、状況やらを推し量りながら、しっくりとくるものを探す。

...結局、最終的にこういう話に行きついてしまうのだから、
私がおばあさんになったころには、辞書やパソコンを見て、
郷愁の念を抱くのかもしれない。

郷愁とはまるで無縁のようなモノたちだけど。