発見!今週のキラリ☆

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2013年3月 アーカイブ

vol.154 「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」 by 井上智恵


3月のテーマ:応援

「クラウドファンディング」に初めて参加した。クラウドファンディングとは、インターネットを使って小額を多数の支援者から募り、アート、音楽、映画などクリエイティブなプロジェクトを実現するという、資金調達とサポーター集めの方法だ。
今回、私がサポーターとして参加した作品は、映画『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』。これは『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』の続編にあたる。前作の先行上映会と佐々木芽生監督のトークイベントに足を運ぶ機会があった私は、続編のプロジェクトのことを知って迷わず参加を決めた。1作目が劇場公開に至るまでの監督の話を思い出したからだ。

大きな映画会社がバックについていないインディペンデント映画を作る場合、製作費を工面することがどれほど困難か、彼女(監督)の話からリアルに伝わってきた。資金が途絶え、借金を抱えながら、約4年の歳月をかけて完成にこぎつけたそうだ。その話にショックを受けた記憶がよみがえり、普段はバーチャルなコミュニティに尻込みする私の指が、ためらいなくプロジェクトへの参加登録を行っていた。

支援といっても、主に本編の観賞券や前作のDVDなど、さまざまな特典を購入する形になっているので、純粋な寄付というスタイルではない。プロジェクトが設定した目標金額は1,000万円。支援期間は2月に終了し、合計915人が参加、 14,633,703円が集まった。寄付ではないにしても、破格の金額である。
「私は、25年間NYに住んでいるので、何でも自分1人でやり遂げることに慣れていました。人にお願いしたり、頼ったりするのが、苦手でした。今回皆さんに応援していただいて、大きな気付きを頂きました。人間は1人では生きていけない、ということ。そして人に支援していただく立場になって初めて、自分も人を支援し、誰かの、世の中の役にたてる人間になりたい、と思うようになりました」 これは監督から届いたメッセージの一部だ。私の貢献など微々たるものだが、今後もさらに多くの人とこの作品を共有できたらうれしいし、3月30日からの公開がとても待ち遠しい。

前作を簡単に紹介すると、主人公はマンハッタンの小さなアパートに住むハーブ&ドロシー夫妻。80歳を超えた2人に密着し、彼らの人生に迫るドキュメンタリー映画だ。
郵便局員の夫ハーブと図書館司書の妻ドロシーは、結婚した直後の1960年代から現代アートのコレクションを始める。彼らが作品を買う基準は2つ。自分たちの収入に見合ったもの、そしてアパートに入る大きさのものだった。当時無名だったアーティストはどんどん有名になり、夫妻のコレクションの価値も高まっていく。メディアでも取り上げられるようになり、夫妻は美術界で有名なコレクターに。30年に及ぶコレクションはアパートの部屋中いたる所にあふれかえり、2人は作品のほとんどをワシントンのナショナル・ギャラリーに寄贈することを決意する...。

アートの世界はまったくの門外漢の私だが、膨大なコレクションを1点も売らずにつつましく暮らすハーブとドロシーに感銘を受け、2人の仲睦まじい姿に頬が緩んだ。夫妻の日常を追う映像からは、監督の深い愛情と尊敬の念がにじみ出ていた。3月の柔らかい日差しのような温かい作品との出会いに感謝し、心からエールを送りたい。

vol.155 「キャンプでの合戦」 by 桜井徹二


3月のテーマ:応援

自分以外の何かに全力で肩入れし、声援を送るという心理はとても不思議なものだ。その対象が好きだからといって、なぜ応援したくなるのか? なぜ、ただ好きだと思っているだけでは飽き足らないのだろうか?

そんな応援の心理についてはよくわからないけれど、応援するという行為が特別な体験であることはわかる。わりと冷めた性格の僕にも、そんな思い出があるのだ。

僕はかつて、キャンパーだった。それも設備の整った至れり尽くせりのキャンプ場で満足するようなキャンパーではない。ザックにテントや飯ごうやコッヘル(携帯用の調理器具)を詰め、仕上げにカップをぶら下げる、そんないっぱしのキャンパーだった。とはいっても小学生の頃の話なので、そこまでシリアスなキャンプをしていたわけでもない。たいていの場合は1泊か2泊くらいの日程で奥多摩あたりに出かける程度だ。いってみればアベレージ・キャンパーだったわけだが、そんな僕も一度だけ、わりとハードコアなキャンプを体験したことがあった。

ある夏休み、僕は北海道の人里離れた山奥で1ヵ月のキャンプ生活を送った。今でいうNGOのような組織が主催していたプログラムで、河原や山すそを含む広大な土地に無数のテントが張られ、そこで各地からやってきた数百人の子どもがキャンプ生活を送るのだ。そこで子どもたちは特に何をするというわけでもなく、ほとんどの日は1日3食の食材の配給以外には何も予定がない。ただ毎日キャンプをして過ごすことだけが目的の、極めてリベラルな(というべきか)プログラムだった。

だから子どもたちは自主的にキャンプのノウハウを身につけたり、いろんな時間の潰し方を編み出したりした。ある日は近くを通る川の上流を探検してみたり、また別の日は肉を干してみることを思いついたりして、初期人類が飢えの心配をしなくてよくなったらこんな過ごし方をするだろうなというような日々を送っていた。

そんなキャンプ生活も終盤にさしかかった頃、ある一大イベントが催された。「合戦」である。参加者を2チームに分け、それぞれの陣地(一方は山の中腹、もう一方は川沿い)に自チームの旗を立てる。参加者は頭にはちまきを巻いてそこにお麩(焼き麩)をぶらさげ、そのお麩が取られたり割られたりした者は脱落となる(なぜお麩なのかはわからない)。そして最終的に、敵陣内深くにある相手チームの旗を奪ったチームが勝利するというルールだった。

充実しながらもめぼしい変化のなかった日々に降ってわいたこの壮大なお遊びに、みんな熱狂した。子どもたちは険しい茂みをものともせずかき分けて奇襲攻撃をしかけたり、侵入してきた敵を一網打尽にするべく無数の穴を掘ったりと、あらゆる手を使って勝利を目指した。

攻防は半日にわたって続いた。いくつもの作戦が打ち破られ、何人もがお麩を割られて脱落していった。そして僕が15人くらいの子と敵陣に向けてとぼとぼと移動していた時、味方の側面攻撃隊が開けた山腹にぽつんと立つ大木を取り囲むのが見えた。その木のてっぺんには敵チームの旗が立っている。

周りにいた子たちは、僕も含めてみんな砂ぼこりにまみれて疲れ切っていたが、その様子を見るなり、ありったけの声を上げて声援を送り出した。低学年くらいの子も中学生くらいの子も、誰もが一心不乱に叫んでいた。

実を言えば、この時すでにタッチの差で川岸に立っていた僕たちのチームの旗は奪われていた。でも周りの誰もまだそのことを知らなかったし、僕たちは残りの体力を振りしぼって一丸となって声援を送っていた。声をあげるごとに気分は高揚し、力がみなぎった。それだけですでに勝利を収めたような気持ちになっていた。

その夜、僕は一緒に行動していた子たちと集まって火を熾し、その周りに座って時間を潰していた。ゲームには負けたけれど、不思議なことに誰もが妙に満足げな様子で火を眺めている気がした。僕はぼんやりと、山腹の木に向かって大声を張り上げていた時のことを考えていた。隣の子に今日何が一番面白かったかと聞くと、山腹の木に向かって大声を張り上げていた時だと言った。

今でも、あの木と、それを取り囲む頼もしい連中の姿と、そして僕たちの怒号のような声援ははっきりと思い出せる。そしてあれから今日に至るまで、誰かに対してあれほど精一杯の声援を送ったことはないんじゃないかと思ったりする。

vol.156 「バリアフリー講座、来期も開講!」 by 浅野一郎


3月のテーマ:応援

バリアフリー講座が来週、終了する。いま講座の受講生は30分弱という、かなり長めのクローズドキャプション制作の課題に取り組んでいるはずだ。

受講生の中にはすでに映像翻訳の世界で活躍している方もいれば、映像翻訳の実務経験がない方もいる。
さらに飛行機で数時間かけて遠方から来ている方、仕事の合間を縫って時間を捻出し通っている方まで、キャリアや背景は様々だ。
共通しているのは、何が何でも、このスキルを身に付ける! という気迫と表現者としての誇りだ。
講義に入ってみて、それを目の当たりにした。
私をはじめ、スタッフ一同、プロ化のサポートを全力でしていく決意を新たにした。

バリアフリースキルは、いまや映像翻訳者のような、言葉を扱うプロの職能として大変注目されている。
日本語の素材を日本語で伝える、簡単なように思えるかもしれないが、そう思った方は是非、説明会や勉強会に出席してみてもらいたい。
(開催予定は日程が決まり次第、メルマガなどで告知予定)

聴覚障がい者用字幕にしろ、音声ガイドにしろ、映像や音声に頼ることは一切できない。"見れば(聴けば)分かるでしょ"という言い訳は通用しない。
バリアフリーは、見ることや聴くことが困難な視聴者を対象に、日本語で作られた素材を分かりやすい日本語で表現するスキルだ。

一朝一夕で身に付くスキルではないが、言葉を使って何かを表現することに喜びを感じる方はチャレンジしていただきたい。